教育としてのダジャレ
思うのですが、世の中を渡る上で、他人とコミュニケーションで、大切なことは言葉とユーモアでしょう。
私は漠然と、子供たちにこの二つのことを教えたいと考えていました。言葉を駆使して友達を笑わせる。単純ですが、なかなか深いテーマです。
算数は勉強しやすいし、ゲームに取り込みやすいので、親が子供に教えやすいと思います。逆に言葉に関しては、それが難しい。
そこで、出た結論ですが! ダジャレ! これです。
言葉を学びながらユーモアを身にけてくれる、まさに求めていた答えです。
私は数か月前にこの重要事項を発見し、子供達に少しずつダジャレを教えています。ダジャレの存在は「ザ・鉄腕・DASH」の城島先生から、既に知らされていました。
ダジャレを言ったら私が点数を付けてあげるようにすると、子供達は我先にと知っているダジャレを叫びます。しかし、彼らの手持ちの武器は、それぞれ2,3個で、それを使い切った後には、お互いのダジャレを言い合って、「それ僕が言ったやつ!!」と喧嘩を始めるのです。
「言ったやつは0点ね」
最初はダジャレを作ることができなかった子供達も、1月過ぎたあたりでしょうか、段々とダジャレの作り方を覚え、聞いた言葉でダジャレを捻り出せるようになりました。とはいえ、「鎌をかまえる」「アブはあぶねえ」程度です。
採点方法も進化しました。最初は何となく点数を付けていたのですが、それだと子供達が納得できずに喧嘩に発展するので、文字数による公正な採点としました。上記の二つは、共に2点です。
さらに、ママが笑ったら+3点としたのですが、「なんで僕のだけ笑わないの!」と怒り出すので、これはお勧めできません。
最近は「箸が橋の端を走った」のように、同じ言葉を何個かを組み合わせてくるようになって、成長が見て取れます。
しかし、同じ言葉を繰り返すダジャレは、真の意味でダジャレではないと考えるに至りました。
先日「ザ・鉄腕・DASH」で、TOKIOのうち一人がカブトムシを取りに行くことになりました。選ばれたのは、そう、城島茂その人です。暗い夜道の中、先生のダジャレが冴えに冴えます!
テレビ画面に映されるのは真っ暗な森、メンバーは彼一人という、テレビ的には見栄えのしない絶望的な状況の中、彼の口から紡がれるダジャレの数々に感動していたのは私だけではないはずです。驚くことに、そのどれもが、同じ言葉の繰り返しではないのです。
「クワガタがくわがった(怖かった)」
残念ながら私が覚えているのはこのダジャレだけですが、これはもうイマジネーションの世界の出来事です。
「鎌をかまえる」は、2つの言葉の中に同じ文字を見付ける作業であり、語彙を増やす意味でも、子供同士のコミュニケーションでも、有益なものです。
しかし「クワガタがくわがった」は、さらに難しい発想が必要です。一見すると力技ですが、「くわ」「こわ」の発音の近似を発見し、「がった」という方言にもあるようなニュアンスを加えることで、ユーモラスに、親しみやすくする効果を与えています。
我が家では、全く同じではない「くわ」「こわ」のような、発音が似ていて違う文字を含んだダジャレに+1点というルールを付け加えました。これが功を奏すかわかりませんが。
ユーモアを教えるのは難しい。しかし、ダジャレは筋道立ててユーモアの一端を教えられる、いいツールではないでしょうか。