3人息子と子育て論雑記

息子3人。一号小学2年。二号小学1年。三号2歳の子育て、教育のはなし

子供にスポーツを習わせるのなら

夜10時過ぎの公園。人目を忍びながら20代の私は、一人でサッカーボールを蹴っていました。

小学校3年生から中学3年生まで、スポーツと言えばサッカーでした。20代で地元に戻ると、草サッカーに誘われます。そこで、子供の時には漠然としていた、どうしたら効率よくサッカーが上手くなるのかを必死に考え、夜な夜な一人、練習を繰り返していました。

 

子供にサッカーを習わせている方へ、ここで極意を教えます。

サッカーとは、ドリブルが9割です。だから、ドリブルの練習をさせましょう。サッカーはボールに触っている時が一番楽しい!ドリブルが上手い選手には余裕が生まれます。この余裕が安定したパスやシュートをもたらすのです。

さあ、今日はとことんドリブルの講義を・・・と言いたいところですが、興味のある人は限られてくるので、サッカーの話はここまでにします。今回の本題は、習い事としてのスポーツです。

 

実は、スポーツの習い事をしてこなっかった妻に、サッカー、或はスポーツを習うことの素晴らしさを話しつつ、どうにか子供たちをサッカークラブに入れて、私が考えたサッカー理論を叩きこんで!と画策してきました。しかし、今は躊躇しています。

 

スポーツは親の自己満足のためにやらせるものではないなと。

 

スポーツをやることは素晴らしいと思いますし、そこで得られる友達や、心身の成長を否定する訳ではないのです。しかし、子供の将来の就職や仕事のことを考えると、必ずしもスポーツを習うことがプラスに作用するとは限りません。スポーツをやっていたからといって、全ての人間が体育会系になれるわけではない。我慢強くなれるかも、個々人の性質に因るものでしょう。私がいい例です!

また、上手い下手というヒエラルキーが必ず生まれ、それがいじめにも繋がりるかもしれません。子供がいじめられないように、スポーツをと思っていた時期があったのですが、本末転倒だったのかも。

 

スポーツは楽しい。だから、子供は熱心に取り組み、膨大な時間的な投資をすることになります。もしかしたら才能があり、日本でトップレベルの選手に成長するかもしれません。そんな頂にから見える風景を、武井壮が語っています。

陸上競技の日本選手権は、男女併せて約50種目に50人ずつ、2500人が参加する。5万人収容できるスタジアムを満席にするには、選手一人当たり20人呼べばいい。だけど、陸上競技でスタジアムが満席になったのを見たことがない。日本で最高峰の選手達なのに、一人20人を呼べる価値がない。」

 

このことに、十種競技で日本一になったにも拘わらず、食うことにも困窮した武井壮は気づきます。ジュニア教育として、子供が心骨を注いでいる競技の「社会的な価値」を教える大人が何人いるのかと。

武井壮はテレビタレントとして成功したから良かったものの、仕事としてのスポーツの本質って、実はテレビタレントと同じ人気商売なのかもしれませんね。

 

部活の体罰問題が取りざたされる度に思うのですが、子供にそこまでの指導をしてスポーツをさせる人間は、子供の最終的な将来像を描きながら拳を振り上げているのでしょうか。子供の時間的な投資が、振るいにかけられた際にも機能するような指導は存在するはずです。しかし、そこまで意識できる指導者は少ないと思います。

それをができるのは親だけです!

 

親がやっていたスポーツは、子供と一緒にやれて、熱心になってしまいがちで。親は一度冷静になって、スポーツを総合的な教育の一環と考えるのか、はたまた子供の将来の武器の一つとしたいのか、良く考えることが必要です。と、半分、私自身に向けた言葉で締めたいと思います。