3人息子と子育て論雑記

息子3人。一号小学2年。二号小学1年。三号2歳の子育て、教育のはなし

褒めて伸ばすの難しさ

0歳「可愛いね!楽しいね!」

1際「可愛いね!歩くの上手!ママって言えたね!」

2歳「可愛いね!スプーン上手に使えるね!おしっこ出来たね!」

3歳「可愛いね!走るの速いね!お着替えできたね!すごいね!」

4歳「走るの速いね!保育園頑張ったね!すごいね!」

5歳「走るの速いね!すごいね!」

6歳「走るの速いね!」

7歳「学校行けたね!宿題できて偉いね!宿題できたの?」

8歳「宿題できたの?」

 

おかしい。褒めたらいいのに言葉がでない

褒めて褒めて、良い子に、何に対しても頑張れる子にしてあげたい。

でもなぜだろう。褒める言葉が見つからない。

褒めたいのに褒められない。

なぜだろう・・・

 

こんな気持ちを味わっている親は、私だけではないと信じます。褒めることは重要だと頭ではわかるのに褒められない。小さいころは何か言葉を発するだけで褒められたのに、今は宿題をやれたところで褒められない。

当たり前ですが、子供のやれることが増えれば褒めるられる点は少なくなり、何回も親が「宿題やって!」を繰り返して、やっと終わった宿題を褒める気にはなりません。

そのうえ知恵がついてきて、褒められるだけでは満足せずに、おもちゃの催促。「おもちゃなんか買いません!」と言えば、怒り出す。あれ?褒めたら良いんじゃなかったの?

 

さてさて、このモヤモヤを解消するために、原点に立ち返りましょう。褒めることでどんな子になってほしかったのか。

「何でも自ら進んでやる子」

「自己肯定感の強い子」

私は、そん子になってほしいと思っています。

そこで思い出したのが友人の大学受験の話です。

 

友人は予備校のクラスを選ぶ時に、カリスマと呼ばれる講師が受け持つ最上級のクラスを選択しました。下のクラスでは地元の講師が直接教えますが、カリスマ講師はテレビ越しです。直接面と向かって教えてくれる講師の方が良いのではないか?友人はそんな疑心暗鬼を感じながら、テレビを見つめました。

すると、カリスマ講師は、何やら勉強とは関係のない話をしています。大学に入学した後の話です。あれ、授業は?と思いながら話を聞くうちに、不思議とやる気が湧いてきたそうです。

そこで友人は悟ります。カリスマ講師のカリスマたる所以は、モチベーションを上げる力だと

確かに問題の解き方も新しく、授業の内容も素晴らしかったと友人は言っていますが、一番はモチベーションだったそうです。大学に行ったらどんな生活が待っていて、自分はどうなっていくのか。そんな話を授業の大半を割いて熱心に語る講師に徐々に魅了されていったと言います。

 

この話は、示唆に富んでいて大好きな話です。ここで話を戻すと、褒めることよりも、どうやってモチベーションを上げられるのかということが重要かが分かります。

私たちは、受動的に、褒めたいがために子供の自発的な行動を待っていたり、褒めたいがために子供に良い子であること望んでしまっているのではないでしょうか。本来であれば、褒めることよりも、モチベーションを上げられる様な言葉を、能動的にかけてあげることが必要だったのです。

 

この考え方に気が付いてから、時間が浅く、具体的な言葉は思い付いてはいません。でも「モチベーションを上げる」をキーワードに注意深く子供に接すれば、自然と褒め言葉を口にする機会も多くなると思うのですが。どうでしょう。

子供にスポーツを習わせるのなら

夜10時過ぎの公園。人目を忍びながら20代の私は、一人でサッカーボールを蹴っていました。

小学校3年生から中学3年生まで、スポーツと言えばサッカーでした。20代で地元に戻ると、草サッカーに誘われます。そこで、子供の時には漠然としていた、どうしたら効率よくサッカーが上手くなるのかを必死に考え、夜な夜な一人、練習を繰り返していました。

 

子供にサッカーを習わせている方へ、ここで極意を教えます。

サッカーとは、ドリブルが9割です。だから、ドリブルの練習をさせましょう。サッカーはボールに触っている時が一番楽しい!ドリブルが上手い選手には余裕が生まれます。この余裕が安定したパスやシュートをもたらすのです。

さあ、今日はとことんドリブルの講義を・・・と言いたいところですが、興味のある人は限られてくるので、サッカーの話はここまでにします。今回の本題は、習い事としてのスポーツです。

 

実は、スポーツの習い事をしてこなっかった妻に、サッカー、或はスポーツを習うことの素晴らしさを話しつつ、どうにか子供たちをサッカークラブに入れて、私が考えたサッカー理論を叩きこんで!と画策してきました。しかし、今は躊躇しています。

 

スポーツは親の自己満足のためにやらせるものではないなと。

 

スポーツをやることは素晴らしいと思いますし、そこで得られる友達や、心身の成長を否定する訳ではないのです。しかし、子供の将来の就職や仕事のことを考えると、必ずしもスポーツを習うことがプラスに作用するとは限りません。スポーツをやっていたからといって、全ての人間が体育会系になれるわけではない。我慢強くなれるかも、個々人の性質に因るものでしょう。私がいい例です!

また、上手い下手というヒエラルキーが必ず生まれ、それがいじめにも繋がりるかもしれません。子供がいじめられないように、スポーツをと思っていた時期があったのですが、本末転倒だったのかも。

 

スポーツは楽しい。だから、子供は熱心に取り組み、膨大な時間的な投資をすることになります。もしかしたら才能があり、日本でトップレベルの選手に成長するかもしれません。そんな頂にから見える風景を、武井壮が語っています。

陸上競技の日本選手権は、男女併せて約50種目に50人ずつ、2500人が参加する。5万人収容できるスタジアムを満席にするには、選手一人当たり20人呼べばいい。だけど、陸上競技でスタジアムが満席になったのを見たことがない。日本で最高峰の選手達なのに、一人20人を呼べる価値がない。」

 

このことに、十種競技で日本一になったにも拘わらず、食うことにも困窮した武井壮は気づきます。ジュニア教育として、子供が心骨を注いでいる競技の「社会的な価値」を教える大人が何人いるのかと。

武井壮はテレビタレントとして成功したから良かったものの、仕事としてのスポーツの本質って、実はテレビタレントと同じ人気商売なのかもしれませんね。

 

部活の体罰問題が取りざたされる度に思うのですが、子供にそこまでの指導をしてスポーツをさせる人間は、子供の最終的な将来像を描きながら拳を振り上げているのでしょうか。子供の時間的な投資が、振るいにかけられた際にも機能するような指導は存在するはずです。しかし、そこまで意識できる指導者は少ないと思います。

それをができるのは親だけです!

 

親がやっていたスポーツは、子供と一緒にやれて、熱心になってしまいがちで。親は一度冷静になって、スポーツを総合的な教育の一環と考えるのか、はたまた子供の将来の武器の一つとしたいのか、良く考えることが必要です。と、半分、私自身に向けた言葉で締めたいと思います。

教育としてのダジャレ

思うのですが、世の中を渡る上で、他人とコミュニケーションで、大切なことは言葉ユーモアでしょう。

私は漠然と、子供たちにこの二つのことを教えたいと考えていました。言葉を駆使して友達を笑わせる。単純ですが、なかなか深いテーマです。

算数は勉強しやすいし、ゲームに取り込みやすいので、親が子供に教えやすいと思います。逆に言葉に関しては、それが難しい。

 

そこで、出た結論ですが! ダジャレ! これです。

 

言葉を学びながらユーモアを身にけてくれる、まさに求めていた答えです。

私は数か月前にこの重要事項を発見し、子供達に少しずつダジャレを教えています。ダジャレの存在は「ザ・鉄腕・DASH」の城島先生から、既に知らされていました。

ダジャレを言ったら私が点数を付けてあげるようにすると、子供達は我先にと知っているダジャレを叫びます。しかし、彼らの手持ちの武器は、それぞれ2,3個で、それを使い切った後には、お互いのダジャレを言い合って、「それ僕が言ったやつ!!」と喧嘩を始めるのです。

「言ったやつは0点ね」

最初はダジャレを作ることができなかった子供達も、1月過ぎたあたりでしょうか、段々とダジャレの作り方を覚え、聞いた言葉でダジャレを捻り出せるようになりました。とはいえ、「鎌をかまえる」「アブはあぶねえ」程度です。

 

採点方法も進化しました。最初は何となく点数を付けていたのですが、それだと子供達が納得できずに喧嘩に発展するので、文字数による公正な採点としました。上記の二つは、共に2点です。

さらに、ママが笑ったら+3点としたのですが、「なんで僕のだけ笑わないの!」と怒り出すので、これはお勧めできません。

最近は「箸が橋の端を走った」のように、同じ言葉を何個かを組み合わせてくるようになって、成長が見て取れます。

しかし、同じ言葉を繰り返すダジャレは、真の意味でダジャレではないと考えるに至りました。

 

先日「ザ・鉄腕・DASH」で、TOKIOのうち一人がカブトムシを取りに行くことになりました。選ばれたのは、そう、城島茂その人です。暗い夜道の中、先生のダジャレが冴えに冴えます!

テレビ画面に映されるのは真っ暗な森、メンバーは彼一人という、テレビ的には見栄えのしない絶望的な状況の中、彼の口から紡がれるダジャレの数々に感動していたのは私だけではないはずです。驚くことに、そのどれもが、同じ言葉の繰り返しではないのです。

クワガタがくわがった(怖かった)

残念ながら私が覚えているのはこのダジャレだけですが、これはもうイマジネーションの世界の出来事です。

「鎌をかまえる」は、2つの言葉の中に同じ文字を見付ける作業であり、語彙を増やす意味でも、子供同士のコミュニケーションでも、有益なものです。

しかし「クワガタがくわがった」は、さらに難しい発想が必要です。一見すると力技ですが、「くわ」「こわ」の発音の近似を発見し、「がった」という方言にもあるようなニュアンスを加えることで、ユーモラスに、親しみやすくする効果を与えています。

 

我が家では、全く同じではない「くわ」「こわ」のような、発音が似ていて違う文字を含んだダジャレに+1点というルールを付け加えました。これが功を奏すかわかりませんが。

ユーモアを教えるのは難しい。しかし、ダジャレは筋道立ててユーモアの一端を教えられる、いいツールではないでしょうか。

小学1年生にパソコンを与えるのは早い?

夏休みの宿題を7月中に終わらせれば、パソコンを買うと約束し、小学校1、2年生の二人の息子にそれぞれ中古パソコンを買い与えました。

始めは夏休みを活用して、クラッチという子供でも使えるプログラミングソフトを勉強させようかと考えていたのですが、教える側の私自身がプログラミングができないので、ゲームを作るまでには至らず、今だ基礎的な動作で遊ぶ程度です。大人であれば、スクラッチで公開されているゲームを遊びながら、そのプログラムをコピーすることで学習できるのですが、子供達にそれをさせるのはまだ難しいと感じました。

 

そこで路線変更です。YouTubeが大好きで、以前から私のパソコンでYouTubeを見ていた子供たちに、インターネットの接続とYouTubeの検索方法を教えました。アルファベットもローマ字もまだ覚えていませんが、自分の欲望のためなら、多少のハードルは乗り越えられる!これは私たち大人は皆経験済みでしょう。アルファベット表を貼り出し様子を見ました。

 

さあ、数日後、そこにはパソコンに向かって、見たい動画タイトルを叫んでいる子供たちの姿がありました。Windows10には音声認識機能が搭載されており、iPhoneで言うところのSiriの様に、言葉でもってインターネットの検索を行ってくれます。私の予想に反して、子供たちは音声で見たい動画へたどり着いていたのです。

効率のいい方法をどうにか見つける力はあるなと感心しつつ、今後は少しずつハードルを増やす方向で、学びに繋げようと思いました。

夏休みの宿題にお悩みの方へ

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もう8月下旬で、子供達の夏休みもおわりますね。夏休みと言えば、親も子供も頭を悩ませる、そう宿題です。

我が家では、夏休みに突入する子供たちの浮かれ気分を前に、前年度の一号君の体たらくを反省し、7月中に宿題を終わらせることを、私が高らかに宣言したのです。そして、学校から帰るや否や、子供の宿題を全て洗い出す作業が始まりました。

ワーク、漢字の書き取り、音読、絵日記、観察日記、絵画、工作、作文と、多岐にわたる宿題を子供も親も把握することが一番の肝です。私の地区の小学校だけかもしれませんが、種類が本当に多い!

にもかかわらず、うちの一号君は、夏休みの目標を先生と相談して決めるプリントに、何と自主的な宿題を3種類もプラスして書き込んでいるのです!!真面目で怠け者でお調子者の性格なのでしょう。計画段階では意気揚々と自身の不足を補う学習を考えるのですが、さあそれを実行する段になると、怠ける怠ける。催促すると怒り出す始末。長期の休みに入る度に、同じことを繰り返しているのです。

さて宿題を全て把握し、その後やることは、宿題の予定表の制作です。これは、宿題の中に毎日の出来事を書く一行日記のようなプリントがあるので、そこに宿題をこなす予定を書き込んでしまいます。一行日記の限られた文字数なので、宿題に番号を振り、1日ずつ番号を書かせました。これを受けとった先生は、ひたすら数が書き込まれた日記を見ることになるのですが、そこは割り切りました。

 

宿題の予定表ができれば、あとはそれに沿って毎日の日程をこなすことだけです。と言っても、我が家の怠け者たちにはそれが大変で、終わった宿題を居間に貼り出しすことでモチベーションを上げたり、7月中に終わったらパソコンを買ってやるとニンジンをぶら下げたりして、何とか乗り越えました。一番は、あの手この手で宿題をさせた妻の頑張りです。

 

と言うことで、今夏の宿題は無事終わったのです。

最後にこの計画を行った動機として、予定を組んでこなすことを学んでほしいかったことがあります。まだ1・2年生なので自分で予定は組めませんでしたが、長期休みの度にこれを続けることで、少しずつ自分たちでやるように仕向けたいと考えています。

また、一日の課題さえクリアすれば、その後は憂いなく遊べるという心理的な負荷を和らげる効果も期待したのですが、子供達は宿題がまだ残っていることに、そこまでの心理的負荷は感じていないようでした。

一番良かったのは、宿題をしないストレスを親が感じる期間が短いことかもしれません。